明るく すみよい 街つくり

東京都北区議会議員 『自由民主党』
池 田 ひ ろ 一
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平成23年7月6日より7日7日
石巻市・新地町・相馬市周辺
                池 田 博 一
7月6日

予定通り大宮を出発した新幹線は仙台に10時50分に到着を
いたしました。そこからマイクロバスに乗り換え仙台東部道路を
通り三陸自動車道を通り松島海岸に到着。

松島周辺を車窓で見たところいくつかの店舗は津波に大きく
影響を受けていましたが、おおむね店舗は順調に営業を進めて
いる状況でありました。

先月末私の友人が子供の靴を気仙沼赤岩児童館に届けるおり、
松島へ立ち寄ってその時の状況を電話で連絡をくれました。
その時は店舗もほとんど閉めている状況であり寂しかったとの
ことでした。その話から見ると今日はややにぎやかさもあるように
見受けられました。

そこより松島町手樽松島佐勘に到着、はじめに松島佐勘松庵
支配人横山京子様より、震災時について約30分にわたりお話しを
いただきました。当日は2組のお客がいたそうです。
地震で各部屋が惨憺たる状況になりましたが、スタッフと部屋を
片付け客にはより安全な2階に移っていただいたとのことでした。
津波は比較的小さな津波でありました。

ライフラインにつきまして松島は電気が9日目に通りガスは5日目に
開通水道は21日目に通りましたが、4月の余震により再度水道が
止まり電気の供給も大変でしたが特に水についてはその確保に
苦労したとのことでした。

ちなみに仙台では電気は2日目ガスは30日以上復旧にかかり水道は
5日目で復旧したとのことでした。

今回特に必要と感じたものはということで以下携帯ラジオ・懐中電灯・
ろうそく・ランプ・卓上ガスコンロ・携帯用ガスボンベ・灯油・
灯油ストーブ・水タンク保存食ごみ袋(これはゴミを入れる以外水を
入れる袋にも使いました)軍手・簡易トイレ・乾電池そして固形燃料・
紙コップ・マッチ・歯ブラシ・トイレットペーパーなどが必要と感じています。

一般の家庭においても今述べたような品物を確保設置してことが必要と
思います。そして震災後改めて行ったことは特に訓練をまめに行う、
イメージトレーニングも大切です。そして車にはガソリンを常に満タンに
するようになったとのことでした。

テレビや金庫などの下には100円ショップで売っているような滑り止め
シートをすべてに取り付けました。そして震度何度以上は集合。
津波の際は会社にこないで安全な場所に待機する。
携帯電話でのメールリストを作成し安否確認を行うことを、社内での
決め事といたしました。

また家族との決めごとでは学校・幼稚園などは保護者の迎えが
決められていますが、直ちに行けるとは限らないので必ず向かいに行く
旨をお子さんに十分伝えておく必要があります。

また学校以外での待ち合わせ場所も再確認する必要があります。
そして災害伝言板の活用法方を再度確認しいいつでも活用できるような
知識を持つ必要があります。

また海側にいた場合には高いところに避難し車を運転している際は車を
止め、車をあきらめることが必要です。
そして津波の際は忘れ物を取りに戻らない。

そして大切なものは何かというもの常日頃考えている、同時に
常日頃からのご近所とのコミュニケーションが大切でありますとの
横山支配人のお話しでした。

以上のお話しは日々聞いているところですが、その場におられた
横山支配人のお話しだけに大変重みのある話でした。

近隣との日ごろのコミュニケーションが大変大事であるとのお話が特に
気になりました。
北区だけでなく都心区においてコミュニケーション不足が指摘を
されていますが、災害等非常時にはコミュニケーションが特に
大切になります。

北区において「区民との協働」という言葉がよく使われますが、単に
言葉だけでなく区民が受身でなく能動的に行政に協力・行動すべきで
ある事を強く打ち出すべきだと感じました。

それと災害に際し情報がなかなか入手できない、何が起こって、
どうなっているかもなかなかつかめず大変不安であるとのことでした。

行政の方も同じく被災されます。行政に頼るだけでなく自分自身を
どう助けるのか、家族とどのように接していくのか、結局家族は
家族同士で助け合うか、近隣と一緒に対応しないとなかなか災害から
身を守ることは難しいと改めて感じました。

講演の後食事。14時30分石巻市立青葉中学校に到着。
今回の仲立ち人の前池田県会議員はすでに到着しており、
早速団扇・かとり線香・殺虫剤・ハエたたき・ハエ鳥がみ等の救援物資を
引き渡す。

土の校庭で、なんでもないときは至極平らに整備されているものであるが
大型トラック・様々な車が入場したためか校庭もかなりでこぼこと
荒れていた。学期中でも在り生徒さんはいたが、話では被災者もおり、
いろいろな方の出入りもありなかなか落ち着いての授業は無理である
とのことでした。今回の避難所の終了の目途もよく分らず、
生徒の学力についても不安があるとのことでした。

被災者用入浴設備もアメリカより提供のシャワーであった。
自衛隊による管理がなされていましたが、交代要員がいるとは申せ、
暑い最中テント下での管理は暑くて大変なものである。
おおよそ40分程度在校し石巻漁港付近を車窓により視察をいたしました。

建物が流され基礎だけ残っている地域、外観はしっかりしているが中を
津波が通り過ぎた家々など大変広大なエリアが悲惨な
状況になっていました。また海側の家は損傷がなく生活をしているが
裏側の家は津波に洗われ大きく損傷している家もあり、
津波は単に海からまっすぐ押し寄せるだけでなく場所により横からも
押し寄せてきているようだ。

車窓より視察をしながら今日の宿泊先に向かいました。


7月7日

翌朝8時にホテルを出発仙台より福島へ新幹線で移動しました。
そこからマイクロバスで新地町周辺を視察。

ここでも多くの建物が流され基礎だけの広大な空間となっていました。
道路も寸断し、ここでは大変多くの方がお亡くなりになられたとの
ことでした。この地は高台に非難しようにも高台も遠くにある。
いったいどこに避難すれば助かるのか理解できなかった。

津波に限らず、北区ハザードマップに示されているように洪水時に
2〜5メートルの冠水をする地区も見受けられます。
3階木造建物も増えてはきていますが木造は2階が主流であり3階の
高さ程度の人工地盤の建設も必要になってくると思います。

次に相馬市双葉漁港周辺を車窓より視察をいたしました。
ここも漁港は建物の躯体だけ残され、周辺も上屋がなく基礎だけに
なったエリアでした。

いまだ取り壊されない家々が多く点在し、漁船が陸地の上に何艘も
取り残されていました。

津波に襲われた場所を見ていると1・2メーター高台に建っている
建物は無傷なところもありました。
またどこの地域を見ても瓦礫の山また山である。

数多くのパワーシャベルがあちこちの泥状地で瓦礫を探りダンプに
積んでいた。瓦礫が一体いつ片付け終わるのか、瓦礫の山はどのよう
に処分されるのか見当がつきません。
どこも何とも表現のしようのない状態になっておりました。

今回いろいろ視察をさせていただきましたが、地震、津波、
その土地の環境などさまざまな条件により損傷の度合いが少しずつ
違っていました。ひとつ分ることは、津波や水での災害に対しては
少しでも高台で生活すべきであります。

 

 

 

 


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